2011年11月26日土曜日

大阪城公園 ≪マラソントレーニング≫

AM 6:00 ~ 準備して・・。
娘の熱も下がってきたので(良かった~~)、パパは行ってきます。
ちょっと時間がないので駅までダッシュッ!
↓早朝の西宮北口駅から撮影、最近できたNDSビル。






阪急神戸線 → 梅田
JR環状線   → 森之宮
ということで到着!
いつも大阪城公園の噴水前で職場の仲間(全員先輩だけど)と待ち合わせ。

すっかり秋らしくなってきました。
噴水からスタートして外周コースが4.3kmくらい。
今日は何回も観光用の汽車に遭遇。いいね。
子供たちが喜びそう。
乗っていたのは殆ど、中国からお越しになった観光客。

外周飽きてきたら、たまに大阪城の本丸に入ります。
う~ん、威風堂々たる様子。(逆光だ・・・)
刻印石広場を通って・・・

刻印石っていうのは、江戸初期・大阪城再築の際に、石垣を各大名が挙って
持ち寄ったとされている切石(石垣の材料)のことです。
太閤時代の石垣ではなくて、徳川時代の石垣。ということは、徳川幕府に対する
忠誠心を示していると(内心はともかく)いうわけですね。
そう見ると、加賀・前田藩がお家存続のためにかけた、健気さが伺えます。
(単純に多い。頑張ったな・・・。)
遠く九州の加藤、龍造寺とかの名前も見られます。


走りながらにしては、よく撮れた。

今の「昭和大阪城」は高さは54.8メートル
徳川時代の大阪城は58.32メートルとか。(5重5階)

太閤が築城した大阪城は、高さは定かではないものの、
(5重6階地下2階)恐らく、現在の眺めより気宇壮大だったんだろう・・・。
それよりも、外周を4kmちょいで周れるわけですが、太閤時代の城郭はこんな
規模ではなかったという・・・凄いもんだ。

余談だけど、私が敬愛する小説家・司馬遼太郎は大阪城に出向くのを好まなかった
と著書にありました。
どうも、文献から推察される城と、今日までに復興された城との規模の差が、イメージ
に合わないといった趣旨だったと思う。

それは、なんとなく察せられます・・・。司馬遼太郎は、その時代の人々と対話ができる
と記しています。(おかしくなってしまったのではなく、心を通わせられるという趣旨)
だからレプリカの大阪城に出向かなくても、景色を眺めたら当時の情景が目に浮かぶ
ほど、歴史に精通し、友(歴史上の人物)を敬愛していたんだと思う。
それは、小説や、対話の記録からいつも感じられます。

まあ、というのは司馬史観。

大阪城(公園)は十分立派な規模で、美しいと思います。

(規模とは別に、展示資料が立派(本物だらけ)なので、見る価値は十分あります。)


と、回想が長くなりましたが、今日は2時間、15kmほど走りました。
ゆっくりだから、全然息も上がらなかったな。
これで、奈良マラソンに挑戦だ!

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