2013年1月15日火曜日

長期的な子育て観

父親デビューして、2年2か月。
成長に驚かされたり、感動したり、疲弊したり、幸せだったり。
充実しているけど、なんか忙しくなりました。家族関係も、かなり変わったと思います。

未熟ながらも、経験や読書を通じ、私なりに考えながら子供と向き合ってきたつもりです。
そこで、備忘の為、今後の子育てに必要だと感じた事を、纏めてみます。

1.子供の理想的な将来像を持つこと。

 幸せであること。
 心身が健康であること。
 自他への優しさを育むこと。
 賢くあること。
 生きる力を備えること。
 自己で決断できる力を備えること。
 働き、社会貢献すること。

親として心がけたいアプローチは、以下の通りです。

①長期的なスパンで知識・技能習得をサポートする。

②父親・母親としての社会的役割を果たす。
母親は、安全を確保する。あるべき道徳論を説き、性善説に基づいた教育を行う。
父親は、厳しさや人間の悪の部分についても教え、社会性・職業観・バランス感覚を育む。

2.子供の特性を理解する事。

「成長度合いが分からない」、「どう接すれば良いかわからない」ということは、よくありました。今後も成長過程によって悩んだりする時もあると思います。

私なりの処方箋は以下の通りです。

①成長過程における特性の理解
本を読み、成長過程に於ける行動の特徴を理解すること。
これを基に、状況(月齢・年齢等)に応じた接し方を実践する。

②個別的特性の理解
子供が問題に突き当たった時に備え、ある程度、「性格の個性」を客観的に認識しておく。

例えば、行動を観察した経験に基づく理解だけでなく、気質を理解して、長所を延ばし、陥りやすい苦手なことを補完できるようにサポートする。

3.子供の自己を尊重し、誠実な態度で向き合う事
親は、如何に努力しようが、限られた自らの環境・知識・経験に基づき、子供と向き合うもの。
そうした、たいして広くもない親の世界観・能力に基づく判断やアドバイスが、必ずしも子供の為になるとは限らない事を、頭に入れておく事が大切に思えます。

・仮にプロ野球選手になりたいと言った場合。(うちは女の子ですが、あくまで例です)

 「パパはともかく、ママは運動が苦手だから、なかなか難しいね。」
 というのは、論外です。

私ならば(野球は得意ではありませんが)、下記のようなアプローチを検討したいと考えます。

・ 一緒に遊び、継続的に体験する。
・ 少年野球やクラブ活動に参加(自主的に入ると思いますが)
・ 興味・意志の度合い(本気度)を測る。(親)
・ 身体能力を測る。(スポーツテストが最適。)
・ 遺伝的に想定される将来の身長、体重、身体能力(区間推定)等を考える。
・ 早い段階でプロの球威等を、実際に体験させる。
・ プロ野球選手に係る統計的なアプローチを行う。
・ プロ野球選手になる為の課題と、計画を考える。
・ プロ野球選手にならない場合の野球の効用を考える。
・ 将来の経済力を幾つかのパターン毎にシミュレーションする。
・ 上記のようなアプローチで、目指すべき方向性や、世界観を親子間で共有する。
 
自分なりに、こんな感じで子供の為にやった!と自己満足しても、所詮は私(親)のパラダイムというか、価値判断の基準がどっぷりなので、アプローチやアドバイス、誘導する手法がせいぜい、親の想像する枠に収まってしまいます。

子供は成長過程に於いて何れは、親と共有した「生活習慣の呪縛」、「刷り込み」というか、そうしたものを乗り超えていく事が必要なのでしょう。

もし、自分が全く精通していない分野や、未体験である分野でも、子供が興味をもったものに対しては、広くアンテナを立て、誠実な態度で理解しようとすることを怠らず、それとなく成長をサポートしていきたいと思います。

2013年1月14日月曜日

ロールズの正義論

昨今、話題のマイケル・サンデルの本を読んで、
J・ロールズの正義論」に触れる機会がありました。

特に印象的だったのは、下記の主張(こんな内容だったと思います)。

自分の能力や努力によって手に入れたと考えられる、報酬・財産であっても、「道徳的恣意性」の影響を受けている。つまり、本人が努力した事によっても、己が例えば、高い学歴や給料を手にする正当な理由とはなり得ない。
(道徳的恣意 ≒ 民族、身分、経済力、社会・家庭環境など偶然、与えられた有利・ 不利)

そこからロールズは、厚生・分配の議論を展開していくみたいです。
強烈な主張ですが、私は真実の一つだと思いました。例えば貧困や内戦多発地域で生まれ育つ事が、今の自分のような生活環境を築くことが可能か?という事を想定すれば、直ちに困難である、と判断できるでしょう。

さて、ここは、サンデル教授(最終的にはロールズ的正義は批判するらしい)も下記のような実例を挙げてます。

ハーバード大学の講義に於いて、講義を受けている学生に「あなたは(長男・長女)か」と問うと、実に8割が挙手した。背景に長男(長女)は勤勉であり、高い勤労意欲を持つという実証データがあるそうです。

学生は、この主張が必ずしも荒唐無稽では無い事に気づかされ、不安に駆られ(自ら努力、研鑽して勝ち取ったと疑わなかった学歴が、実は外生的に与えられたもの?と突きつけられるからか)探求していくようです。(日本の大学ではこの事例は使えません。出生率が低いから、統計的に長男・長女が多くて当然でないか?と、反論されます。)

偶然手にした話題の本。
個人的には今のところ哲学や、「正義論」自体には、さほどの興味はありません。但し、ロールズが途中で展開する、「道徳的恣意性」の考えは極端ではあるものの、「本質的な謙虚さ」を促す意味で、重要な示唆に富んでいると思います。

例えば、「努力」や「成果」に対する対価(金銭的な報酬に限らない)を当然に主張・期待する欲求が、自分にもあることに気づかされました。

今の生活・労働環境は、必ずしも、自分の努力や成果といった産物ではなく、実は様々な偶発的な面を備えた、「道徳的恣意性」がもたらしたものであるということ。そうした本質的な感謝の気持ちを心底に持ち続けねば、対価を際限なく求め、欲深く傲慢になり、幸せから離れていくようにも思えます。

「哲学」・「政治哲学」とか。どうも昔から、「イデオロギー観」が好みではなく、敬遠していましたが、哲学は時に重要な示唆を与えてくれるのかもしれません。

興味湧いたので、少しずつ読んでみようと思います。