2013年1月14日月曜日

ロールズの正義論

昨今、話題のマイケル・サンデルの本を読んで、
J・ロールズの正義論」に触れる機会がありました。

特に印象的だったのは、下記の主張(こんな内容だったと思います)。

自分の能力や努力によって手に入れたと考えられる、報酬・財産であっても、「道徳的恣意性」の影響を受けている。つまり、本人が努力した事によっても、己が例えば、高い学歴や給料を手にする正当な理由とはなり得ない。
(道徳的恣意 ≒ 民族、身分、経済力、社会・家庭環境など偶然、与えられた有利・ 不利)

そこからロールズは、厚生・分配の議論を展開していくみたいです。
強烈な主張ですが、私は真実の一つだと思いました。例えば貧困や内戦多発地域で生まれ育つ事が、今の自分のような生活環境を築くことが可能か?という事を想定すれば、直ちに困難である、と判断できるでしょう。

さて、ここは、サンデル教授(最終的にはロールズ的正義は批判するらしい)も下記のような実例を挙げてます。

ハーバード大学の講義に於いて、講義を受けている学生に「あなたは(長男・長女)か」と問うと、実に8割が挙手した。背景に長男(長女)は勤勉であり、高い勤労意欲を持つという実証データがあるそうです。

学生は、この主張が必ずしも荒唐無稽では無い事に気づかされ、不安に駆られ(自ら努力、研鑽して勝ち取ったと疑わなかった学歴が、実は外生的に与えられたもの?と突きつけられるからか)探求していくようです。(日本の大学ではこの事例は使えません。出生率が低いから、統計的に長男・長女が多くて当然でないか?と、反論されます。)

偶然手にした話題の本。
個人的には今のところ哲学や、「正義論」自体には、さほどの興味はありません。但し、ロールズが途中で展開する、「道徳的恣意性」の考えは極端ではあるものの、「本質的な謙虚さ」を促す意味で、重要な示唆に富んでいると思います。

例えば、「努力」や「成果」に対する対価(金銭的な報酬に限らない)を当然に主張・期待する欲求が、自分にもあることに気づかされました。

今の生活・労働環境は、必ずしも、自分の努力や成果といった産物ではなく、実は様々な偶発的な面を備えた、「道徳的恣意性」がもたらしたものであるということ。そうした本質的な感謝の気持ちを心底に持ち続けねば、対価を際限なく求め、欲深く傲慢になり、幸せから離れていくようにも思えます。

「哲学」・「政治哲学」とか。どうも昔から、「イデオロギー観」が好みではなく、敬遠していましたが、哲学は時に重要な示唆を与えてくれるのかもしれません。

興味湧いたので、少しずつ読んでみようと思います。

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